「空の青さを知る人よ」あらすじ&ネタバレ感想。空の青さとは?

邦画
Youtube「映画『空の青さを知る人よ』予告【10月11日(金)公開】」より

「空の青さを知る人よ」予告編ムービー

映画『空の青さを知る人よ』予告【10月11日(金)公開】

「空の青さを知る人よ」あらすじ

高校2年生のあおいは、13年前に交通事故で両親を失ってから、姉のあかねと2人暮らしをしていた。

かつてあかねの恋人だったバンドマン・慎之介への憧れからベースを始めたあおいは、ミュージシャンになるために上京することを夢見る。

ある日、ベースを練習していたあおいの耳元に、演奏にケチをつける声が聞こえてきた。

その声の主は、なんと、13年前の過去からきた慎之介だった。

「空の青さを知る人よ」感想

「あの花」「ここさけ」を手がけた長井龍雪監督の最新作である「空の青さを知る人よ」。脚本もシリーズでおなじみ岡田麿里氏ということで、あの花の最終回で号泣をかました僕にとっては待望の作品でした。

で、今作はどうだったかというと…最高でしたよ。

今作は恋だけでなく、両親を失った姉妹の姉妹愛が描かれるのがミソでして。甘酸っぱい青春が苦手なひとも、13年前からきた恋人という設定に惹かれないひとも、ただ一人の家族に注ぐあかねの愛と、姉の苦労に責任を感じるあおいの愛には感情移入できる可能性があります。

「空の青さを知る人よ」姉に対する罪悪感の深さ

Youtube「映画『空の青さを知る人よ』予告【10月11日(金)公開】」より

この映画一番の見どころは、あおいの葛藤。

物語の中盤、あおいはしんのを好きになったことに罪悪感を抱きます。それは、慎之介と話すあかねが見たことのない楽しげな表情を浮かべているのを見たから。しんのがあかねに対して抱いている気持ちは聞いていたけど、現在のあかねにとっての慎之介という存在の価値は計り知れなかったんですよね。上記のシーンで、あかねはそれを偶然知ることになるわけです。あかねにとって慎之介は、13年前と同じ、代わりのいない大切な存在だと。

そんな姉の姿を見て、自分の気持ちを認めてはダメだと悟ったあおいは「好きになっちゃだめなんだ」とまで言います。

あおいの同級生である大滝さんが、好きになることに罪悪感を抱えるあおいをみて困惑するように、誰かを好きになるというのは自然なことなはずですよね。「好きになる」という人間にとって本能的なことを制止するなんて、どれほど辛いことか。けれど、あおいはそれを自分に課します。

この行動を、姉を思っていることの裏返しとして見ると、バンドの練習所でしんのに問われた「なんで東京に行くのか」に対するあおいの答えに、とても重みが出てくるんですよね。

「わたしがここから出て行けば、あか姉は自由になれる」

メチャメチャ偏屈なことを言えば、少なくともこれを言った時点では、ミュージシャンになりたいという夢の大義名分にあかねを使っていると言えなくもないわけです。
けれど前述のあおいの苦悩の様子から、この発言が本当の気持ちであることがわかります。本当どころか、心の底から姉の自由を願っているんですよね。

「空の青さを知る人よ」あおいとあかねの独特な関係性

Youtube「映画『空の青さを知る人よ』予告【10月11日(金)公開】」より

自分が誰かに迷惑をかけているとか、誰かの自由を奪っているとかっていう自己嫌悪は、わりと普遍的な感情ではあると思うんですよね。僕自身、たくさんのリソースを注いでくれた両親に対して何もしてあげられないことに、申し訳なさでいっぱいになることがあります。
けれど、親というのは年齢がひと回りもふた回りも違ったり生きた環境が違ったりで、一番親密な関係なはずなのにどこか別人・超人みたいな印象もある。

そう言う点で、「姉という距離感はどうなんだろう?」と考えずにはいられなくなるんですよね。
あおいにとってあかねは、姉であると同時に育ての親でもあります。それに、あおいとあかねは14歳の年の差があるのでやっぱり別人というか、違う人と感じることはあるのかもしれない。あおい攻略ノートを見たときに姉の努力を知って驚くのは、あおいがそういう見方をしていたことの現れだと思います。

ただ、死んでしまった両親より年齢は近いし、同性ということもあるので、「こういうこと考えているのかな」とか、相手の思考を辿るときの難易度はいくらか容易いハズなんですよね。姉妹という関係によって共感性も高くなる。自分が思っていることは、当然姉も同じように思っているんじゃないかと考えられるわけです。

あおいは「地元という牢獄に囚われている」と言いますが、「自分が思うのなら姉もそうなんじゃないか」と考えているんですよね。それが罪悪感を生み出す元になっている。あかね自身は口に出さないだけで、不自由を感じているんじゃないかと。あかねは自分の胸中を外に出さないタイプなので、尚更そういった疑念が加速する。
あおいが姉の卒業文集を見るときに言った「あか姉はわたしと変わらないことを書いているだろう」という言葉から、自分の思考をそのまま姉に当てはめていることが垣間見えます。

では、「果たしてあかね本人は、あおいの思惑通り不自由や不足を感じているのか?」というのが肝心なところですが、

あかねが見ている景色や考えていることは、あおいが思っていた以上に違かったんですよね。

この見ている景色の違いこそ後述する「空の青さ」だと言えます。

「空の青さを知る人よ」空の青さとは?

Youtube「映画『空の青さを知る人よ』予告2【大ヒット上映中】」より

「井の中の蛙 大海を知らず されど空の青さを知る」
高校の卒業文集に書かれたあかねの言葉。

「井の中の蛙 大海を知らず」という部分は、広く知られている故事成語のひとつで、以下のような意味があります。

考えや知識が狭くて、もっと広い世界があることを知らない。世間知らずのこと、見識の狭いことにいう。

広辞苑第六版より

そして続く「されど空の青さを知る」という意味深げなワード。

これらの言葉は、あかねはもちろん、あおいや慎之介、しんのの心情を知るためのキーワードになっていて、ひいては物語の象徴のような重要さが秘められています

あおい/大海を目指す井の中の蛙
Youtube「映画『空の青さを知る人よ』予告2【大ヒット上映中】」より

あおいとあかねはこれまでずっと地元に留まっていて、まさに井戸のなかにいるカエルのよう。舞台となっている秩父は周囲を山に囲まれた盆地なので、井戸のイメージが一層現実味を帯びて、あおいが「私たちは牢獄に閉じ込められてるんだ」と愚痴るのにも頷けます。

そうやってあおいが地元を揶揄するのは、田舎出身の人にありがちな東京への憧れだけでなく、前述したように、「そうできなかった姉」を一番近くで見てきたゆえの申し訳なさが多分に含まれているからなんですよね。
憧れだったしんのが上京したことから始まる「東京にはなにかあるんだ」という気持ちは、その何かがあるだろう東京に行かせてやれない姉に負い目を感じることで、どんどん膨らんでいった。

自分は姉のように我慢したくないし、我慢してきた(だろう)姉を自由にしてやりたい。
そうした思いが、東京という大海を目指す礎になったのだと思います。
望みを叶えられる場所への渇望を歌う「ガンダーラ」は、そんなあおいの、今いる場所ではない別のどこかに理想を求める姿勢を表しています。

あかね/空の青さを知る人
Youtube「映画『空の青さを知る人よ』予告【10月11日(金)公開】」より

姉の自由を奪ったと感じているあおい。

だけど、あかねとあおいの見ている景色は大きく相違していた。

あかね自身は「妹に自由を奪われた」とは思っていなかったんです。あおいは自分自身を、自由を奪った人間だと「だれもかれも思っている」と卑下したけど、少なくとも姉はそう思っていなかった。

確かにずっと地元に住んでいるあかねは、外の広さなど知る由もないんですよね。たぶん、「慎之介と一緒に上京していたら」というifを考えることもあったと思います。

でも、ずっと井戸の中で過ごしてきたからこそ、あかねは空の青さを知っている。自分のすぐ近くにある幸福を大切にできる。

その身近な幸福こそ、あおいという存在なんですね。

慎之介/大海を知った人
Youtube「映画『空の青さを知る人よ』予告2【大ヒット上映中】」より

慎之介は、あおいと同じくミュージシャンとしての大成を目指す「目玉スター」。
13年前、「一緒に東京の専門学校へ行く」というあかねとの約束は果たされなかったものの、東京でソロミュージシャンとして活動を始めた慎之介。が、世に出した曲は鳴かず飛ばずで、音楽で生きて行くことの厳しさを身を持って感じることになります。
荒波に揉まれ、腐っていた自分をバックミュージシャンとして拾ってくれた新渡戸に感謝する一方で、理想と乖離した現実に苦悩します。

そんな彼は、実際に大海に赴き、その広さや厳しさに直面した「大海を知った人」と言えます。そして、13年前の写真を手に練習所に訪れたことは、忘れようとしていた気持ちにもう一度向き合おうという意思の表れでもあるんですよね。

しんの/井の中の蛙
Youtube「映画『空の青さを知る人よ』予告【10月11日(金)公開】」より

なぜか、かつてのバンドの練習所に閉じ込められているしんのは、ある意味一番の井の中の蛙。
あおいたちにとっては過去から来た存在だけど、本人にとっては今さっきあかねに上京を断られたばかりで、失意の底にいる状態のしんのは、東京に「ガンダーラ」を求める志と、あかねと一緒にいたいという思いの狭間にいます。

物語が進むごとに、「ババア」になったあかねの姿、好きという気持ちをストレートに伝えるあおいとツグ、なにより、あかねを失った未来の自分を見て、あかねのかけがえのなさを再確認していきます。
そして、あかねへの気持ちを忘れようとする慎之介を目の当たりにして怒りを爆発させ、重要なことに気づきます。
ミュージシャンとして成功したいと言う夢は、あかねと一緒にいることが前提だということ。

この気づきは、慎之介なしには至ることができなかったものだと思います。
しんのは、自分の中の迷いに気付きながらも確信はできないままで、練習所に閉じ込められていました。あおいを通して未来の自分を見るや、おっさん臭い見た目や女癖の悪さにケチをつけるものの、ミュージシャンとしての活動に関しては特に文句を言ったりしないんですよね。慎之介本人はミュージシャンとしての自分に満足していないのにも関わらず。
しんのは、勇気を持って大海に臨んだ未来の自分を否定せず、「お前は進んでる」とまで言います。

ただ一点、「自分の未来がこうだとしたら嫌だ」という判断基準で、あかねを忘れようとする慎之介は許せなった。身近な存在の大切さに気づいた瞬間ですよね。

なんというか、言うなれば「井の中の蛙のしんの、大海を知った慎之介を通して、あかねという空の青さを知る」みたいな。

そして、忘れてはならない、しんのがあかねに言った「空の青さを知ったら、ツナマヨが昆布に勝てるわけない」という言葉。

しんのは自分にとっての空の青さを知るとともに、ずっと気になっていたあかねにとっての空の青さにも気づいたんですね。

卒業文集で、世界征服を宣言したしんのに対して、「井の中の〜」の一節を書いたのは、「わたしはここにとどまるけれど、大丈夫」というあかねなりのメッセージのように感じられます。
そんなあかねのいう「空の青さ」とはなんなのか?なんでツナマヨじゃなくて昆布なのか?しんのは知りたくてたまらなかったはず。

練習所に閉じ込められたしんのは、あおいと過ごすなかで、彼女がどれほど姉を思っているかを体感した。
そして、あかねが愛を注ぐ対象の人間として、彼女の魅力に触れたことで、空の青さの正体に気づいたのだと思います。

恋を忘れてしまったあかね

Youtube「映画『空の青さを知る人よ』予告【10月11日(金)公開】」より

空の青さを知ったあかねは、全てを悟ったかのような全能キャラに見えます。高卒後すぐに仕事を始め、家事育児などの親の務めも果たし、地元付き合いもこなしたりと、並々ならぬ苦労人なのに人並み以上の幸福を求めない。まるで仏。

ただ、恋愛に関しては積極的になれないという一面があります。

みちんこから好意を向けられていることを知りつつも、自らアクションを起こしたりはしない。また、これまで何人かと付き合ってきたと言っているけれど、おそらくそれも、相手に合わせた消極的な交際だったんじゃないかなと考えられます。(作中に詳しい描写がないので断言できないけども)

このようにあかねが恋に奥手な理由を考えてみると、初恋が自分の意思や相手の意思とは関係の無い理由で消滅してしまったというのが大きいんじゃないかな、と思います。どうにもできないことがある、という無力感が尾を引いてしまっている感じ。

あかねと慎之介

Youtube「映画『空の青さを知る人よ』予告2【大ヒット上映中】」より

好きな気持ちを持っているのに表現できないあかねの苦悩は、慎之介と再会したときに露わになります。

演歌のバックバンドをしている現実を「こうなるはずじゃなかった」と嘲る慎之介に、「31歳なんてまだまだこれから」と言って励ますあかねは、一人残された後に涙を流します。

たぶん、「一緒に東京に行こう」というしんのの誘いを断った時は、目の前のことを処理するのに精一杯だったのだと思います。両親が亡くなり、まだ小さいあおいの面倒を1人でみることになったわけですから。両親が亡くなったときあおいは4歳なので、あかねは想像を絶する苦労をしてたんですよね…。4歳ってまだ小学生にもなってない。
折り合いをつけるという言葉では足りないくらいに現実がのしかかっていたはず。そう考えると、あかねと慎之介の関係は、選択する余地すらなく消滅したとも言えるわけです。それが、13年という歳月を経て、ある程度落ち着きを取り戻したところに再び初恋の相手が現れることで、忘れていた過去を思い出さざるを得なくなった。

あかねは、忘れていた過去の復活と同時に、13年前と何も変わらない思いに気づいたと思うんですよね。
一緒にいたかったけど、選択の余地などなかった高校3年のとき、離れる決意をしたあの日と同じように、彼の夢を信じていること、好きでいること。色々な思いが溢れて、涙が出てきてしまった。

忘れようとするけどどうしてもできない、でもそれを伝えることもできない苦悩に苛まれるのは慎之介のほうも一緒です。

もうひとつの「青さ」

Youtube「映画『空の青さを知る人よ』予告【10月11日(金)公開】」より

選択肢が増える一方で、積極的・直接的な手段には移さなくなった大人たち。

それとは対照的に、あおいとしんのは、ひたすらに青いんですよね。

あかねや慎之介は「好き」という2文字を言葉にしない一方で、あおいやしんのたちは胸の中の思いをつぎつぎに言葉にしています。

みちんこに「あかねえとくっつけてやる」と直談判すると「自分でやる」と断られ、「慎之介と気持ちの決着をつけるために新渡戸を地元に招いた」と明かされたり、戸棚に隠されたあおい攻略ノートから、一人で自分を育ててくれた姉の非凡な努力を知ったりと、大人たちは口にせずとも秘めている思いがあることにあおいは気づいていきます。

あおいがしんのに言い捨てるかのように放った「好きだ」という言葉には、そういった大人たちへの反発という意味も込められているような気がします。

いろいろな人のいろいろな思惑が渦巻いていることを知ったけれど、「もう、こう伝えることしかできないよ」という白旗をあげるかの如くストレートな言葉。
ツグがあおいのことを好きだとしんのに打ち明けるシーンも同じように、飾り気なく気持ちを表現するんですよね。ツグに関しては将来のプランも含めた説得力満載の告白でしたが。

僕は、この若者ゆえの不器用さに、心打たれました。

歳をとって視野が広くなるにつれ、思っていることをそのまま言葉にすることのリスクだとか、恐れだとかが生じてしまって、つい回りくどくなることがあるんですよね。いい大人になったら「好きです!」から始まる恋なんてのはマイノリティだとも思うし。

そういうある意味冷めた観点から、あおいたちの発する、周りの環境を自主的に変えて行くエネルギーを見ると、それは未熟さともいえるけれど、若さそのものともいえるし、羨ましささえ湧いてくるんですよね。赤く熟すことで味わえなくなってしまったものもあるのだなぁ…と感傷に浸ってしまう。

エピローグでは、エネルギッシュなあおいとしんのに後押しされたかのように、慎之介が夢とあかねを諦めないことを言葉にし、あかねはツナマヨおにぎりを作ろうと仄めかします。特にあかねにとっては、気持ちを言葉にする勇気は相当なものだったはず。
慎之介とあかねが青さを取り戻したこのシーンは、物語のエピローグでもあり、2度目の初恋のプロローグでもあるので、より一層印象的に見えてくるんですよね。

「空の青さを知る人よ」感想のまとめ

Youtube「映画『空の青さを知る人よ』予告2【大ヒット上映中】」より

ゆるふわチックな見た目・言動からは想像もつかないほどの苦労と努力をしてきたあかねの愛情深さ。東京への憧れに比例して湧き上がる地元の閉塞感に辟易する裏では、姉への罪悪感を抱えているというあおいの優しさ。
この二人の関係性だけでも物語性があるのに、そこに恋というジレンマの元が加わってメチャクチャ厚みのある映画になっているので、見る人によって目の付け所が大きく変わるんじゃないかと思います。世代が違うキャラクターが登場して絡みあっていくので、大人の苦労や停滞感、思春期の素直さや危なっかしさのような共感の入り口が無数にあるのも「スゴい作品だな〜」と思ったポイントのひとつです。

あと、あいみょんは流行っていることを知りつつも曲は全く聞いたことがなかったのですが、この映画をきっかけに主題歌をヘビロテしています。あおいの一つの恋が終わったあと、しんのと一緒に跳ぶ清々しいほどの青い空。そこに、あかねの影を追う慎之介の歌でもある「空の青さを知る人よ」が流れるわけです。アレは泣かせにきてる。
人間が涙を流す前触れのけいれん?みたいなのがあるじゃないですか。あれが突如起こってしまって、「これアカン」と必死に堪えました。幸い、頰に涙が伝うことはありませんでしたが…。

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