「ガリー・ボーイ」あらすじ&ネタバレ感想。”言葉の炎が足鎖を溶かす”。

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Youtube「『ガリーボーイ』予告編」より

「ガリー・ボーイ」予告編ムービー

『ガリーボーイ』予告編

「ガリー・ボーイ」あらすじ

インドのスラムに生まれたムラドは、クルマの窃盗をする悪友たちと、お金持ちの家系に生まれた交際相手サフィナとともに日々を過ごしていた。

ムラドの父は使用人の車の運転手で、ムラドの大学費用を賄うため必死に働く仕事人である一方、妻をないがしろにして家族の住む家に愛人を連れ込むなど問題もあり、両親のケンカが絶えなかった。

ある日、偶然大学内でMCシェールというラッパーのパフォーマンスをみたムラドは、言葉の力をもって観客を沸かせるそのラップに胸を打たれた。

シェールが主宰するラッパーたちのコミュニティに顔を出したムラドは、身分の差が生む不条理と屈辱をビートにのせて紡ぐ。

周囲からの意外な共感をうけ、ラップの魅力にとりつかれたムラドは、路地裏生まれガリー・ボーイとしてその世界に深く入り込んでいく。

「ガリー・ボーイ」感想

Youtube「『ガリーボーイ』予告編」より

生い立ちによる身分の差とそれに起因する差別的な扱いに暗澹とした思いを募らせるムラドが、ラップに出会うことでやり場のない気持ちを解放していく物語。

格差という問題は一朝一夕で解決できるものではない壮大なテーマなので、作品にするのはメチャクチャ難しいと思うし、もちろん今作のエンディングでも「ハイ解決!みんなハッピー!」とはならないワケです。
で、「解決するのは難しい」となったときに諦めず一歩引いて考えてみると、必要なのは「その問題を認知する人を増やす」ことですよね。蚊帳の外にいる人たちにその問題について1ミリでも知ってもらうことは、解決に至る可能性を持つ人の母数を増やすことに繋がりますから。
そういう面から見ると、この作品で印象的な被差別民のムラドによるラップは、いわば当事者の心の叫びになっていて、それが問題提起としてムチャクチャ訴求力があるんですよね。
ビートを刻んだ魂の叫びは、聞いている人の心に直接訴えかけるような力強さがあります。

「ガリー・ボーイ」家族の繋がりが生む閉塞感

Youtube「『ガリーボーイ』予告編」より

お金のためにクルマを盗んだり子どもにハッパの製造・取引をさせる友達や、恋人がいるにも関わらずラップ活動の過程で出会い肉体関係を作ってしまった女性プロデューサー、そして家に堂々と愛人を連れ込んで妻を顧みない父親など、ムラドの周りは常に問題だらけ。でも、それだけの数の人間ドラマがあります。

特に家族に翻弄されるのはムラドだけじゃなくて恋人のサフィナも同じ。裕福な家庭に生まれたサフィナは両親からの反対を恐れ、スラムで生まれスラムで育ったムラドとの交際をひた隠しにしています。彼女は、家を出るにも許可が必要なほど束縛が厳しい両親(特に母親)に不満を募らせている。
物語の中盤、ラップコンテストに出場するか叔父の会社に勤め続けるか悩むムラドは、「夢を追いかけるべきか」とサフィナに問います。それに間を空けず「もちろん」と返す彼女は、ムラドを応援すると同時に、自分自身もそうありたいという願いを持っているんですよね。選択する自由があるならば、迷わず自分の行きたい道を選ぶべきだと。

ただ、2人の両親ともに子どもを大学に行かせているので、まったく愛がないようには見えない。そのことがなおさらムラドとサフィナを苦しめているんですよね。親への不満はあるけれど、手をかけてもらっている実感は確かにあるからストレートに言葉にすることができない。

でも、「誰が大学に行かせてやってると思ってるんだ!」とムラドの父親が怒鳴るように、与えたものを理由にコントロールしようとするのは間違っているように思えます。ムラドやサフィナが反発するのは一人の独立した人間として自由を認められたいからで、育ての親だとしてもそれを侵害してはいけない。家族の繋がりの強さは、ライフラインの保証として、将来の自由を掴むための教育として重要だけど、そこに本人の意思があってこそ正しく機能するものなのだと思います。
日本で頻発する家庭内暴力・家庭内殺人のニュースを見ているとその根底にある血の繋がりゆえの閉塞感を覚えるけど、この映画でも同じようなものを感じました。

ちなみにムラドをラップの世界に引き込んだシェールもアルコール中毒だろう父親をもっていて、小言を言われるシーンがあります。多くは語らずとも、彼も苦悩を抱えているからラップの世界に魅了されているよう。

「ガリー・ボーイ」ラップの本質とは

Youtube「『ガリーボーイ』予告編」より

シェールが主催するラッパーの集まりを見ると、これほど理想的なコミュニティはないなと思います。
他人をつまはじきにするような身内の集まりかと思いきや、喜んでムラドを迎え入れてくれる地元ラッパーたち。普段は言葉にすることができない思いを吐露して、それだけで気持ちがいいのに、ときに彼らに「いいぞ!」と賞賛される。

オープンなコミュニティにも関わらずムラドはすぐに意気投合して、ラッパーとして馴染みます。それは彼の才能はもちろんのこと、誰かの借りものではない自分の言葉をぶつけるというラップの本質が結びつけた縁なのではないかと思います。
ムラドが書き起こした歌詞をシェールに見せると「自分の言葉なんだから自分で歌え」と言われるように、ラップというのは自分の気持ちをむき出しにして、それを吐き出すという作業。口先じゃなくて人間性で歌っているからこそ、それに共感するものと強固に結びついたのだと思います。

作中ではソロでラップを披露するほか、相手と罵り合うラップバトルのシーンも印象的です。ラップバトルは相手の容姿とか立場を容赦無くイジるというわりとハードなものだけど、それにしたって本物の気持ちをぶつけるという点は変わらないんですよね。
コンプレックスを突かれて閉口してしまうのも、その言葉が嘘じゃないことがわかるから。相手を傷つけるっていうのは褒めること以上に嘘をつけないことだし、時間的制限のなかでラップをしなければいけないから、なおさらホンモノの言葉が出てくる。

自分の思いを丸裸にして、相手のコンプレックスを丸裸にするラップ。その表現手法でインドの格差社会の実情を語られたら、そのインパクトが甚大じゃないハズがない。

「ガリー・ボーイ」猟奇的な彼女

Youtube「『ガリーボーイ』予告編」より

ムラドの恋人サフィナは、可愛らしい外見からは想像もつかないほど強烈で衝撃的なシーンがいっぱいあります。

ムラドが冗談で見せびらかした別の女性とのメールを見るなり即バスを降りて本人に直接関係を問いただすと、その流れで殴り合いにまで発展。ムラドとの甘〜いシーンを見ると、落差が強すぎて度肝を抜かれます。まぁそれほど強く思っているという証明ではあるんですけど…。

で、ムラドがコラボレーションする女性音楽家のスカイとのやりとりも不穏な空気で、「どうなってしまうんだ…」と見ているこっちも戦々恐々。というか、スカイを女性と知った段階から「ふ〜ん…」と次のターゲットを定めた様子のサフィナに笑っちゃいました
結局、サフィナが脅威のリサーチ能力を発揮して2人の関係を暴いて、ムラドをかばったスカイの頭にビール瓶を叩きつけます。ある意味期待通りの展開というか。気持ちの良い割れっぷりでしたね。警察との立会いにきたサフィナの両親のデジャヴ感が凄まじい。

ムラドの友達と結婚させられそうになった時も、その友達に向かって「ムラドに連絡させて、さもなければ結婚するから」と脅迫するというメチャクチャ強気な姿勢を見せます。最初はサフィナを狙っていた友達も、その男勝りな性格を見てか「あいつとは結婚したくない」と言動を180度変える始末で、それを見事利用されたかたちに。

愛が重すぎて猟奇的なサフィナ。かなり魅力的なヒロインでした。ムラドも結婚したら尻に敷かれるんじゃないかな…。

「ガリー・ボーイ」感想のまとめ

Youtube「『ガリーボーイ』予告編」より

この作品は実話を元にして制作されたもので、主題歌「Mere Gully Mein」は、ムラドとシェールのモデルであるNaezyとDIVINEによって2015年、Youtubeにアップロードされています。実際にインドの格差社会が垣間見える楽曲として高く評価されていた模様。とはいえ、日本に住んでいる僕はその盛り上がりを知る由もなく、ラップという音楽ジャンルの馴染みなさも手伝って、この作品なしではこの楽曲にたどり着くことは出来なかったハズ。

この作品でムラドの苦悩に満ちた生活が語られることで、楽曲が生まれるまでの背景を擬似的に理解できます。楽曲を聴くだけでは知ることのできない「Mere Gully Mein」に秘められた叫びが、作品への感情移入によって現実味を帯びてくる。

遠くで起こっているコト、いやもしかしたらそんなこと起こっていないのかもしれないくらいの距離感がある社会問題が、「ガリー・ボーイ」の物語とムラドの訴えであるラップの相乗効果によって、急に目の前に突きつけられる感じ。映画と音楽の親和性というものを再確認させられました。

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