「ジョーカー」あらすじ&ネタバレ感想。狂ってる?いえ、意外と近くに潜んでるかもしれません。

洋画
Youtube「映画『ジョーカー』特報【HD】2019年10月4日(金)公開」より

「ジョーカー」予告編ムービー

映画『ジョーカー』本予告【HD】2019年10月4日(金)公開

「ジョーカー」あらすじ

母親の介護をしながら大道芸人の仕事で日銭を稼ぐ、心優しき青年・アーサー。

精神的な病を抱えているために毎日薬を服用しているが、社会は彼を拒絶するばかりで、アーサーは孤独を深めていった。

コメディアンになるという夢を追うアーサーだったが、数々の悲劇が彼の心を蝕んでいき…。

「ジョーカー」感想

Youtube「映画『ジョーカー』本予告【HD】2019年10月4日(金)公開」より

心優しい青年のアーサーが、残虐な殺人鬼ジョーカーになるまでを描いたクライムサスペンス。

バットマンの仇敵であるジョーカーが主役ということで、「過去のバットマンシリーズを予習したほうがいいのかなー」と思っていたのですが、この映画のあまりの評判にガマンできず、見に行っちゃいました。

僕自身のバットマン遍歴は、数年前にティム・バートン監督の「バットマン」とその続編「バットマン リターンズ」を見ただけ。一作目の「バットマン」にジョーカーが出てくるのですが、正直”バットマンの敵”という印象以上のものは記憶になく…。なので、今作の内容についていけるか心配だったのですが、結果から言うと予習なしでもぜんっぜん問題ありませんでした。

ゴッサムシティという舞台はバットマンシリーズと同じものの、スーパーパワーを生かしたアクションとは完全に別モノ。貧しさが生むネガティブな感情、異質な者を排除する人間心理、認知症の母の介護などリアリティに溢れていて、それらを経て変容していくアーサー(ジョーカー)は、フィクションの枠に収まりきらないほどに悲劇的で魅力的なキャラクターです。

「ジョーカー」アーサーの抱える病

Youtube「映画『ジョーカー』本予告【HD】2019年10月4日(金)公開」より

アーサーは心が不安定になると笑いが止まらなくなってしまうという病気を患っていて、それが原因で他人から奇異の目を向けられます。

バスに乗っていた子どもを楽しませようとすると、その母親から「かまわないで」と拒絶された時や、地下鉄で女性に絡む3人の酔っ払いに目をつけられた時、トーマス・ウェインに父親であることを否定され、母親を「イカれた女」呼ばわりされた時など、おおよそ笑うべきじゃない場面でも笑ってしまう難儀な病。
彼は、他人に理解してもらうために病気について説明したカードを携帯しているけれど、それを見せても奇人を見るような目は変わりません。

周囲の人間の冷めた目と、高らかに響くアーサーの笑い声。こんなシーンが出てくるたびにスーッと血の気が引いて、気づけば僕も彼の周りの人間のように、一歩引いた目で彼を見て、そこに狂気さえ感じてしまいました。

「ジョーカー」アーサーを拒絶する社会

Youtube「映画『ジョーカー』本予告【HD】2019年10月4日(金)公開」より

他人に理解されないことで孤独を深めていくアーサーだけど、それは病気によるところが大きくて、彼自身は優しい心の持ち主なんですよね。母親の介護を文句ひとつ言わずこなしたり、見知らぬ子どもを楽しませようと手品を披露したり。人に害を加えるような人間とは正反対のところにいます。

だけど、福祉センターでカウンセリングを受けるアーサーは様相が違い、タバコを吸いながらどこか人生を憂えるように物思いに耽っていて、彼の本心が見えるような言葉をポツポツと口にします。その中でも印象的なのが「狂っているのは自分か、世間か?」というワード。

言葉通りに考えると、アーサーが虐げられる原因を自身や世間に探しているように捉えられます。ただここでは、世間の狂いようを強調しているように聞こえるんですよね。言い換えるなら「狂っているのは自分だとどうして言えようか?」とカウンセラーに問い詰めるような感じ。

人々の理解が得られず虐げられてきたことで、すでに彼にとって世間への信用は地に落ちているも同然で、居場所のなさから心が磨耗しきっています。ビジネスライクな対応しかしないカウンセラーに「毎日ストレスに決まってる!」と語気を荒げて言い放つように、どうかしてしまいそうなくらい、アーサーの心は悲鳴をあげている。

“自分が狂っているんじゃないかと錯覚してしまうほどに”残酷な世界。「狂っているのは自分か、世間か?」という言葉には、彼の嘆きの悲痛さが込められています。

「ジョーカー」狂った世界に適応しようとするアーサー

Youtube「映画『ジョーカー』本予告【HD】2019年10月4日(金)公開」より

アーサーの想像を絶する苦しみ。そんな苦痛を生みだす世間への恨みから復讐の鬼に変貌するかと思いきや(最終的になってしまうけど)、その狂った世界になんとか適応しようとする描写が見られるんですよね。

例えば、アーサーが発作的に笑っている最中に、自ら口を手で覆って声を抑えようとする場面。彼の立場からすると「俺をさんざん除け者にしやがって。そんなヤツらに構うもんか!」みたいな心情になってもおかしくないと思うんですよね。僕がもしアーサーの立場だったら、多分この映画のオープニングの時点で、世間に完全に見切りをつけてジョーカーになる自信があります。子どもたちにリンチされる前にも、ストレスフルな日々を送っていたに違いないですから。

それなのに、彼は空気を読むというか、周囲にアンテナを張るという一面がある。「精神的な病を持つものが生きるのに辛いのは、世間の目だ」とアーサーが語るくらいには、他人の目を気にして生きているんですよね。見た目に分かる身体的な障害と違い、精神病はこころの病だから他人に理解されづらい。そんな人々の無理解が、彼の病気を目前にしたときの「普通にしていろ」という圧力に変わってしまう。

コメディアンのトークが楽しめるお笑いバーのシーンでも、彼の性質が垣間見えます。コメディアンを目指すアーサーが観客にウケるお笑いの手法をメモしている場面では、アーサーが笑うときに周りの観客は全く笑っていなくて、逆に本来の笑いどころで彼は全く笑わないんですよね。で、その違和感に気づいた彼は、周りが笑った瞬間それに合わせるように「ハハハ…」と掠れ笑いをする。
このシーンでは、アーサーに夢を叶えるための才能が無いことが示されるのと同時に、周りの人間との感性の違いや、それを察知してマジョリティとして振る舞うという彼の孤独への恐れのようなものも感じ取れます。

僕らが普通に生きていても、自分を抑える場面はメチャクチャ多いですよね。なんで自分を出さないかと言うと、根本を辿れば孤独への恐怖という本能的なものになるんじゃないかと思います。本心は別のところにあるけどマイノリティになると途端に生きづらくなるから自分を殺すしかなくて、そのように人間にプログラムされている。

アーサーの場合も同じで、上記のような行動は、居場所を確保するための防衛手段みたいなものなのかなと。でも、彼は社会から追い出されているも同然で、虐げられる日々のなかでそれを自覚している。つまり、彼が適応しようとしているのは「自分が死体になっていたとしても見過ごす」ような社会です。

生きるためにしょうがないとはいえ、自らを迫害するような社会にしがみつくしかないとなれば、それは絶望そのものですよね。

「ジョーカー」不満の起爆剤

Youtube「映画『ジョーカー』本予告【HD】2019年10月4日(金)公開」より

トーマス・ウェインのような富裕層や、マレー・フランクリンのような人気者が持つものとは比べものにならないけれど、アーサーは社会の片隅にひっそりと居場所があって、それが彼を首の皮一枚でつなぎとめていましたそれはピエロの仕事だったり、福祉センターのカウンセリングだったり、母親だったり。

けれども、その数少ない居場所さえも、すべて脆くも崩れ去っていきます。

社会の一員として働く意思が打ち砕かれ、枠から外れかける者たちの受け皿としての福祉システムも崩壊した。果てに、母親と信じて一緒に暮らしていたペニーが養母であったことや、彼女の昔の恋人がアーサーを虐待していたことが判明し、無償の愛を注いでいた身近な存在にも裏切られる。なんというかもう逆ロイヤルストレートフラッシュくらい絶望のオンパレードですよね。

で、居場所がなくなりつつある一方で、たまたま彼がウェインの部下たちを射殺したことで、貧困層から支持を受けます。何も失うものがなくなったアーサーはここに居場所を見出すことになり、”世間が狂っている”ことを証明するジョーカーへと変わっていきます。

ここで彼の行動が支持されるというのはつまり、社会に不満を持っていたのはアーサーだけじゃなかったという証明ですよね。民衆の不満が具現化するきっかけになっただけで、彼はそこに至る材料を一番持っていたにすぎない。
この映画を見た感想に「自分もジョーカーだったかもしれない」という声が多いのは、劇中で描かれる「持たざる者が抱く持つ者への不満」というテーマの普遍性があるからだと思います。

だから、ジョーカーはまったく別の世界のワルモノじゃなくて、”最悪の場合の象徴”とでも言うべき、思ったよりも身近な存在に感じました。異常な狂気を感じる一方で、それまでの物語を考慮すると「でも、最悪のパターンとしてありえるんじゃない?」となる。

「ジョーカー」感想のまとめ

Youtube「映画『ジョーカー』本予告【HD】2019年10月4日(金)公開」より

狂気に満ち満ちているのに、どこか他人事とは思えないジョーカーの物語。バットマンの設定を借りた全くの別作品と言ってもいいかもしれないです。でも、これを見た後でバットマンシリーズを見ると、資産家の息子であるブルース=バットマンと貧困に苦しむジョーカーとの対比がうまれて、ストーリーの厚みが増すのかもしれない…。

ラストの精神病棟でのシーンは、アーサーの過去のこととして考えると「最初から狂ってたのでは?」となっちゃいそうだけど、まぁ作品を受けて出てきた感想が嘘になるわけじゃないし…という感じで、あんまり深く考えないでいます。

なによりアーサーの悲劇、そしてそれを喜劇とするまでの過程は、この映画を見た人次第で印象が大きく変わると思っているので、これから鑑賞者の感想文を漁りまくっていきます。

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